top of page
検索

インドにて1

  • kashiwagijunya
  • 2021年8月30日
  • 読了時間: 2分

エアインディアで十数時間のフライトの後、僕は深夜のボンベイに到着した。


入国手続きを終え、両替所に並んでいると、25、6歳と思しき日本人の女性二人組に声をかけられた。


二人はヨーロッパを数週間旅した後、ちょうどボンベイに到着したとのこと。洗練されたヨーロッパに比べ、無法地帯のような深夜のインドに降り立って不安もあったのだろう、今夜の宿はどうするかと聞かれた。


僕も初めての海外でもあり、どうやって宿を探すか?彼女たち以上に不安だったので、その日は3人で宿を探すことになった。



後にインドに慣れるにつれ、分かってくるのだが、駅を降りると大抵バックパッカー狙いのホテルの客引きが待ち構えており、わらわらと客引きが集まって来て荷物を奪い合う。


彼らと値段交渉をし、とりあえず部屋を見せてもらい、”なんとか許せる程度の汚さ”であれば交渉は成立する。それが”度を越した汚さ”の場合、別のホテルとの交渉となる。


ホテル側の客引きがいない場合でも問題はない。リクシャー(タイなどで良く見かける原付タクシー)がわらわら集まって来て、客の奪い合いになる。リクシャーの運ちゃんは大抵ホテル側とグルになっており、こちらが口コミ等で探したホテルには素直に連れて行かない。


”そのホテルはダメだ。もっと安くて、綺麗で、安全なホテルがある”などど言い張り、グルになったホテルに強引に連れて行こうとする。ホテルを見せてもらうと、大抵の場合、クソ汚くて、ハシシ売りやら闇の両替商がたむろしているような場所なのだ。


例によって幾つかのホテルを見て回り、”なんとか許せる程度の汚さ”の部屋であれば、”もういいや”とそこに決めてしまうのである。万事この調子で、朝から値段交渉ばかりするのでクタクタに疲れるのである。



初日は深夜ということもあり、多少高かったが(といっても一泊1500円くらいだった)タクシーの運ちゃんの”提携先”の宿に落ち着くことになった。


僕は当初、ボンベイから北へ向かい、チベット方面まで足を延ばそうか?と漠然と思っていた。日本人の二人組の女性は、タージマハルのあるアグラや、タントラの寺院で有名なカジュラホーに向かう予定だった。


英語に関しては彼女たちの方が堪能だし、旅慣れてもいたので、僕は予定を変え、しばらく彼女たちに同行してもよいか?ともちかけた。彼女たちも”日本人女性は全員フリーセックス!”と思っているインド人男性がうじゃうじゃいる中で、連れの男性がいるのは心強いとのことで、その後数週間、3人で行動することになった。。。

 
 
 

最新記事

すべて表示
インドにて15(エピローグ)

その年の年末年始を僕はアシュラムで迎えた。 アシュラムに来て2カ月がたっていた。僕は帰国を考え始めていた。 旅はある時点を超えると惰性になり始める。 僕も当初の高揚した気分が薄れ、毎日学校に通うように習慣でアシュラムに行き続けるようになっていた。...

 
 
 
インドにて14(アシュラム編)

セラピーは地下室のような窓も何もない部屋で行われた。床や壁には人がぶつかっても怪我をしないよう、クッション体が敷き詰められていた。 それだけ激しい、ある意味危険なセラピーであることが分かった。 参加者は30人ほどであった。西洋人がほとんどで、日本人も数名いた。...

 
 
 
インドにて13(アシュラム編)

プーナの生活も1カ月以上たち、知り合いも増えアシュラムにも慣れてきた。 僕はずっとやってみたいと思っていたカリキュラムがあった。 それは1日3時間、全3週間に及ぶセラピーで”ミスティック・ローズ”と呼ばれる人気コースだった。...

 
 
 

Comments


Recent Posts
bottom of page