インドにて10(アシュラム編)
ある日、アシュラム内でアート作品の展覧会があることを知った。
以前このブログでも書いたが、僕の祖母は和紙人形師で晩年は大手のデパートで何度も個展を開いていた。
僕はインドへ旅立つ前、祖母から簡単な和紙人形の作り方を教わっており、和紙人形の材料も多少だが持ってきていた。
外国人とのコミュニケーションで何かの役に立つのでは。。と考えてのことだった。
僕は早速、数点の作品を作って展覧会の責任者に見せた。インドで和紙人形を作るような酔狂な輩は他にいなかった為、一目で気に入られ、展覧会に出品してよいとの許可をもらった。
僕はアパートの部屋にこもり数週間後の展覧会に向け、趣向を凝らした作品を大小10体ばかり仕上げた。
展覧会前日、作品を持ち込むと、責任者は”作品に名前と値段をつけるように”と言う。
僕はインドの物価を考え安めの価格にしたのだが、彼は”安すぎだ"と言う。
結局、彼の提案通りの値段としたのだが、”ホントにこの値段で売れるのか?"と思うような高額であった。
翌、展覧会当日、夕方になって会場のスタッフの所へ赴き、”僕の作品どうなった?"と尋ねると、
"全部売れた"との答え。
ははーん。こいつは一儲け出来るぞ。。。と今なら考えるのだが、当時の僕は純粋だったので、作品を西洋人にプレゼントしたら喜ばれるぞ!と思い、日本の実家に国際電話を掛け、至急和紙を送るよう要請した。
段々作品作りに手慣れてきた僕は、祖母から習った作り方からどんどん逸脱し、様々な作品を作っては、ワークショップの先生やら、ちょっとした知り合いやらに作品をプレゼントしまくった。
其のうちアシュラム内で"ORIGAMI"を作る日本人の噂は広がり、綺麗な金髪の女性から
"あなたのORIGAMIはSo beautifulだわ!" などど声を掛けられるようになり、僕の鼻は徐々に前方に伸びていくのであった。
その頃、日本からツアーでやってきた女性と親しくなった。
30代半ばのピアノ教師で、数カ月アシュラムに滞在予定とのこと。
始めの頃は夜、アパートの屋上で住人達と食事をしながらちょと会話をする程度だったが、お互い幽霊とか宇宙人とか妖怪とかの話が大好物だったこともあり、毎日会話をするうちに親密になったのだ。
彼女は何度もアシュラムには来ており、既にサニヤスネームを持っており "プラティカ" と呼ばれていた。
(ヒンディー語の意味を聞いたのだが、忘れてしまった)
彼女はなかなか壮絶な経験をしていた。20代の頃婚約者がおり、峠道を婚約者の運転でドライブをしていた。
そこで、事故を起こし大怪我で病院に運ばれる。記憶があるのはベッドに横たわる自分からで、事故の記憶は無いという。
顔にもかなりダメージがあったとの事で、それだけでも相当なショックだろうが、酷いのは婚約者の男で、
事故の後一方的に婚約を解消したのだ。
今回プラティカがアシュラムに来たのは、当時の精神的なトラウマと、手術で大量に使われた麻酔薬の肉体的な影響を解消するためであった。
彼女が参加するコースは”チベッタン パルシング ヒーリング"という怪しさ満点のセラピーだったが、よくよく聞くとかなり科学的な面もあった。数カ月に渡ってほぼ毎日レクチャーがある本格的な代物であった。
彼女は何度もアシュラムに来ていることもあり、古くからの友人等が多くいた。僕にも色々な人を紹介してくれた。
当時僕は、いわゆる"悟り"と呼ばれる現象に並々ならぬ興味を抱いており、アシュラムに来れば"悟りを開いた人物"に出会えるのではないか?と密かな期待を抱いていた。
僕はプラティカから紹介された彼女の知り合いの男性に、"この辺で悟ったと噂される人はいませんか?"と単刀直入に聞いた。
驚いたことに、その男性は ”いるよ” といった。
アシュラムでも割と有名らしい。
街の中心街に住んでおりリクシャーで2、30分もあれば行けるらしい。毎週土曜日に自宅の庭で講和(お説教ですな)をしているとのこと。
その人物は "キラン・ババ" と呼ばれていた。
僕は、行ってみることにした。
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