インドにて13(アシュラム編)
プーナの生活も1カ月以上たち、知り合いも増えアシュラムにも慣れてきた。
僕はずっとやってみたいと思っていたカリキュラムがあった。
それは1日3時間、全3週間に及ぶセラピーで”ミスティック・ローズ”と呼ばれる人気コースだった。
僕はプーナで誕生日を迎え、23歳になっていたが、既に自分の中のトラウマに気付いていた。
僕の家庭環境はあまり良くなかった。父親と母親は折り合いが悪く、母親はそのストレスを僕に向けた。
肉体的に暴力を振るうわけではないが、異常に過干渉で、自由に好きなことはできなかった。
小言は延々と続き、幼い僕はじっと耐えた。
僕だから耐えられる。他の子供なら母親を”刺してる”。と思っていた。
3歳か4歳のころだったと思う。例によって両親が喧嘩し、母親は父親と”別れる”と言い始めた。
僕はどちらについていくか聞かれたので、父親を選んだ。
父親が好きだったからではない。只々、母親のヒステリックな小言に耐えられないからだった。
結局、両親は離婚はしなかった。
幼稚園のとき、僕は右手を複雑骨折して入院した。1カ月以上入院していたと思う。
3週間ほどたった頃、主治医の先生が”もう退院してもいいよ”と言ったが僕は拒否した。
家に帰りたくなかったからだ。
僕は大学生になって親元を離れるまでずっと我慢し続けていた。
大学に入って一人になって心底ほっとした。
こういう家庭環境だったので、僕の中には大いに感情のブロックがあると思われた。
このトラウマを”ミスティック・ローズ”で一気に解消したいと思い、僕はカリキュラムに応募した。
英語にはあまり自信がないので、専属の通訳(ボランティアでやってくれるのだ)を付けてもらった。
20代半ばの日本人の女の子で、綺麗な子だったので、ぼくは俄然やる気になった。
”ミスティック・ローズ”の内容は大きく3つに分かれていた。
最初の1週間は1日3時間、只々笑い続ける。
次の1週間は1日3時間泣き続ける。
最後の1週間は1日3時間、瞑想する。
というものだ。
1週目、2週目で感情のブロックに働きかけ。
最終週で、漸く瞑想ができる状態になる。感情のゴミが溜まった状態で瞑想しても
静かに座れたものでなく、延々と怒りや悲しみが表面化し悩まされることになる。
1日3時間も感情に働きかけ続けることなど、果たして耐えられるのか?
不安はあったが、とにかく僕は参加することにした。
Comments