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インドにて3

  • kashiwagijunya
  • 2021年10月3日
  • 読了時間: 2分

2等列車やおんぼろバスで移動を続ける中で、印象に残った場所はいくつかある。


まずは、タントラ密教の寺院群で有名なカジュラホー。結構有名な場所なので、日本人の旅行者もちらほら見かけた。

この寺院群は建物の壁一面に男女の交配像が刻まれている。タントラではSEXも悟りへの手段として用いていた。


この町では確か"レイクサイドホテル"という名の宿に滞在した。


オーナーが日本語に堪能で、料金も手ごろなので日本人の間で有名だった。


夜は酒を飲みながらインド人オーナーも交えて歓談するのは楽しかった。

このオーナーは瞑想やらヨーガなどにも造詣が深く、精神世界の話題でも盛り上がったものだった。

ところがこのオーナーが実は曲者だった。

僕は何度かインドに行っているが、最初の旅から数年後再びこの地を訪れて、このレイクサイドホテルに滞在した。

その時は連れの女性も一緒でその女性も瞑想等に興味をもっていたので、このオーナーにちょっとばかり指導してもらうことになった。


オーナーと僕と連れの女性の3人で1時間ほどヨーガと瞑想を行った後、オーナーは僕と女性を別々の部屋に連れていき、個人的に指導し始めた。


僕の"ご指導"はサッサと終え、オーナーは長いこと女性の別室から現れなかった。

いい加減飽き飽きしたころ女性が現れたのだがどうも様子がおかしい。


部屋に戻って訳を聞くと、曲者オーナーから性的な行為をされたらしい。その女性は人を信じられなくなったと泣いた。


翌日そのホテルをサッサと引き払い別のホテルに移った。その子は「事を荒立てたくない」というが、どうにもこのままでは腹の虫が収まらない。


僕は一人で、仲良くなっていた土産物屋の店主に会い、大雑把に事の顛末を語った。そして日本人旅行者宛の手紙を書かせてもらった。その土産物屋は比較的日本人が多く訪れるのだ。


当然悪名高き”レイクサイドホテル”の滞在者も訪れる。その人たち(特に女性)に僕の書いた手紙を読ませて欲しい、と店主に頼んだ。内容はあのホテルでオーナーが行った破廉恥行為、そして決してあのホテルを使ってはならない、というものだ。


バックパッカー間のこういう情報はあっという間に広がるものなので、あのホテルは終わりだろう。ザマみろ。

と良くも悪くも印象に残る街だった。

 
 
 

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