昔話

毎年、夏が近づくこの時期に思い出すことがあります。

僕は大学を卒業した後、就職もせずに塾の講師と家庭教師で食いつなぎ、金を貯めてインドに行ってました。5ヶ月くらいはあっちで貧乏旅行をしてました。バックパッカーというやつです。インドのエピソードは沢山あるのですが、今回の話はインドから帰ってきた後の事です。

帰国後僕は、実家のある小倉に一月ほどいたのですが、高校時代の悪友に誘われて、ひょんなことから大分県で菊の栽培に手を出すことになりました。なぜそうなったかは長くなるので詳細は省きますが。

大分市の古い2Kのアパートに友人と住んで、そこから毎日バイクに乗って40キロほど走り、山奥の野津原村に通いました。そこで、菊の栽培は素人の爺さんと、もっとど素人の友人と僕とで農業をやることになってしまいました。

4月ごろから作業を始め、収穫予定は8月のお盆の時期の”はず”でした。ビニールハウスの中に日照時間を調整するためのカーテン(シェード)を張り巡らすシェード菊です。逆に冬は日照時間を増すためライトで光を当てる電照菊。光量の調整で、年に数回収穫が出来るわけです。ちゃんとした農家は。僕らは素人ですので、もうボロボロでした。

シェードはあちこちから光が漏れて、ほぼ意味をなさず、農薬は噴霧器を使って、自ら撒いていました。丁度今と同じ梅雨の時期などは最悪でしたね。ハウスの中は50°まで室温が上がり、Tシャツ一枚に作業ズボン、コンビニで買ったペラペラのマスクを付けて、手作業で農薬を撒くのですが、もう農薬の毒で頭が痛くてしょうがなかったです。数種類の劇薬を交代で撒いていくのですが、撒き終わった後は作業小屋でうずくまっていました。水やり、農薬、シェードの開閉は”ちゃんとした”農家は全て機械がタイマーに合わせて全自動で行うのですが、僕らは”素手”でしたから。因みに当時僕らが手作業で撒いていた農薬はその後使用が禁止されました。毒性が強いという理由で。

爺さんは農薬のビンを振りながら「じゅんちゃん。(僕のこと)これ飲んだら楽になれるで・・・」などと、しゃれにならない事を言うのでした。楽になるまでが滅茶苦茶苦しいではないか。

友人と二人で数か月この苦行に耐えていたのですが、段々と”なんか変だ。何か間違っている”と気づき始め、他の農家のやり方を見せてもらいに行きました。農薬を撒いても撒いても病気が発生し、葉の裏は真っ白になり、このままではとても売り物になるとは思えませんでしたから。

ベテラン農家を一目見て”こりゃあダメだ”と思いましたね。役所の農政課の人も、心配してくれて何度も指導に来たのですが、一緒にやっている爺さんと爺さんに金を出している出資者が聞く耳持たず、無駄に終わりました。その頃から僕と友人は、その牢獄から逃げ出すことを考え始めたのでした。。。。続く

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